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今からおよそ69年前の昭和16年、当時わが国における肖像画の権威として皇室をはじめ社会の各方面における最高指導層から、肖像画の下命発注を受けていた内山観月画伯が、わが国の肖像画界を改革することを目的とし「肖像画道を確立する運動」を提唱しました。 この大胆で清新な主張はたちまち全国の肖像画界に、大きな波紋をよび、各地の一流肖像画画家が内山画伯のところに集まってきました。昭和17年9月日本肖像画道院という画家集団の結成行われ、総裁に公爵一条実孝氏が推され、内山観月氏が院長に就任して革新的な画家集団が正式にスタートを切りました。 その後第二次大戦が激化してゆく情勢の中にあっても美術を愛し肖像画に生命をかける画家としての情熱を支えとして、全国で肖像画展や懇談会などの活動をしてきました。
昭和27年に印度首相ネール氏の肖像画を製作。また翌年には印度独立運動の志士チャンドラ・ボース氏の肖像画を製作。そして昭和36年石田閑山画伯が米本国よりケネディ大統領の肖像画を依頼されて製作。さらに昭和46年秩父宮妃殿下の許しを得て故秩父宮殿下の肖像画を製作するなど、日本肖像画道院は目ざましい実績を残しました。 |
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そして昭和51年内山観月画伯の理念を継承した石田閑山画伯が日本肖像画道院院長に就任し今日に至っています。その作品はいま世界を駆けています。
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私の肖像画道観 |
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人を描くということは、その人の人生も心も描くことであると語ります。言わば対象とする人物との対決です。直接目に見えぬ対象のもつ真実を見据えようとする気持ちで筆をとる・・・まさに対象の真実の美の追求です。
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石田閑山作品 |
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![]() 「祗をん 加奈子」油彩20号 |
![]() 「祗をん 佳つ麿」油彩20号 |
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| 閑山富士 | ||||
| 日本の象徴である富士山。それだけに富士を描く作家も数多くいますが、 石田画伯の描く富士は「閑山富士」と異名をもつほどファンが数多く定評があります。
富士を描く石田閑山画伯の歴史は古い・・・。 「富士を人にたとえて描く。すなわち富士は性格をもった感情をみせる顔である」 |
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